岡田耕一
友の会会報 No.3 1998.10.1   
岡田耕一

 岡田耕一友の会会員の皆様、ならびに地域の皆様、日頃から岡田耕一の活動にご理解、ご協力戴きましてありがとうございます。前回の市議会議員選挙から、 早3年半、その間、私、岡田耕一を取り巻く環境はもちろんの事、豊田市におきましても様々な事業が推進、計画されており大きく変貌しております。21世紀は 地方分権、市民の時代と言われています。今後、益々市民が市政に関心を持つと共に事業推進、計画に直接的、間接的に関わりを持つ必要を痛感しております。
 特に、豊田市は、他の自治体と比較して財政的に裕福であるために税金の使い道について、厳しいチェックがされていないと感じてなりません。(仮称)豊田大橋の建設費についても当初より10億円もの予算をオー バーしても市議会では市長、ならびに市役所当局の責任について大した追及もせず、補正予算を通過させています。市民感覚からすれば他の自治体同様に徹底的に予算 オーバーの原因究明されるのは当然であり、民間企業であればトップならぴに関係責任者の責任ほ免れないところです。こうした事をより明確にするのが市議会であ り、議員であるはずです。このような失態が二度と起こらないように監視するのが市民の役目です。市民の皆さんが金も出すけど口も出す。(納税するし意見も言う) という気持ちで豊田市政を考えて戴きたいと思っています。
 来るべき市議会議員選挙も平成11年4月25日投票になりそうです。次回こそ皆様のご期待にこたえる結果を残せるように頑張りますので、今後ともご支援、ご協力お願い致します。


シリーズ 岡田耕一と豊田市(まち)を語る 第2回
今回の対談は、岡田耕一友の会会員の皆様に、もっと『岡田耕一』という人間を知ってもらう為
直接、岡田耕一にお話を聞いてみることにしました。

インタビュアー 松田不二男 さん(岡田耕一友の会々長)
松田 本日は、いろいろ質問をしてみたいと思いますので宜しくお願いします。
岡田 こちらこそ、宜しくお願い致します。
松田 さて、まず、岡田耕一さんの簡単なプロフィールから教えて下さい。
岡田 はい。昭和42年1月にここ豊田市で生まれ、東山小学校、美里中学校を卒業後、トヨタ自動車内のトヨタ工業高等学園を37期生として卒業。トヨタ自動車元町品質管理部に10年在職し、前回の市議選出馬を機会に退職。平成7年4月の市議選出馬。選挙では、私の力不足で落選という結果に至りました。
松田 なぜ、市議会議員を志すようになったのですか。
岡田 十代半ばにして、初めて街づくり、市政というものに関心を持ち始め、ただ漠然と『もっと楽しい街、もっと素敵な街になればいいのにな』と思う様になりました。そして、いろんな活動を行ってきましたが、一市民という立場ではなかなか私たちの思いや声が市政に反映されないと感じるようになったのです。
松田 それで、市議会議員になろうと思ったのですね。
岡田 そうです。『誰かがやってくれるだろう。』 という人任せではなく、『私達の手で』と思う様になっていったのです。そして、『普通の一市民の代表として』『若い世代の代表として』という気持ちで出馬を決意し選挙に至りました。
松田 市議選出馬までには、どの様な活動をされてきたのでしょうか。
岡田 市政に関わりを持つということから昭和63年と平成6年に市政モニターをさせて戴いたり、『豊田市二一世紀未来計画』で市民企募による街づくり提案の募集がありましたので『豊田市における自転車交通のあり方について』というテーマで提案させて戴きました。その節は、松田さんにも大変お世話になりました。
松田 そうでした。あの時は大変でしたね。その他に何か。
岡田 豊田市国際交流協会などでも様々なボランティア活動をして参りました。
松田 それでは次回は、この問題やその他の豊田市の現状について感じていることを聞かせてください。
岡田 分かりました。
松田 今日はありがとうございました。
岡田 こちらこそ、ありがとうございました。

▲戻る おかだ耕一へメール